故中倧中邨元恒先生行実要略
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コンテンツ情報

詳細

資料コード:

02BK0104163670

施設番号:

県立長野図書館

資料種別:

書籍(BK)

タイトル:

故中倧中邨元恒先生行実要略

タイトル(ヨミ):

コチュウソウナカムラモトツネセンセイギョウジツヨウリャク

分野:

場所(市町村名):

伊那市

制作年(和暦):

明治年間

時代:

制作者:

不明

大きさ(㎝):

28

資料解説:

江戸時代後期の儒学者―中村元恒に関する実績の概略書。冒頭に、姓を中邨(中村)、名を元恒、字は大明、通称は中書、別号は中倧、と紹介がある。経歴は、安永7年(1778)信濃伊那郡本郷村に生まれ、六歳の時、父(淡斎)に授けられた『孝経』(孔子が孝道を述べた書物)を能く暗記し、十五歳で高遠藩士の坂本天山(砲術家)に師事、後に松本藩士の木澤天童や京都の猪飼敬所に儒学を学び、文政7年(1824)高遠藩の儒臣兼藩医となった、など記される。実績には、優れた指導力で広く人々を教え導き藩の学を構築した事や、高遠城を守った仁科信盛ら殉死者のほこらを建てた事などの記述がある。他に、弘化・嘉永の藩財政難の時、自給の為の屯田制を説くが激しく反発され、一家が領内黒河内村に流された事件とその後の様子や、「和漢融合」など持論の説明もある。嘉永4年(1851)9月他界とあり、本書末文には、金剛山の墓碑に刻まれた遺言の一説も記されている。

請求記号:

N289/ナカム/

出版者:

不明

発行年月日:

明治年間

ページ数:

4丁

コンテンツ種別:

Video

二次利用条件:

CC0(PUBLIC DOMAIN)

コピーライト表記:

県立長野図書館

権利関係

県立長野図書館

CC0
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