Loading...
引用機能は画像の任意の領域を切り出して、URLを生成する機能です。
画像上で切り出す領域を選択してから、「引用する」を選択してください。
輝度等の変更した値は引用には反映されません。
上図を登録します。
よろしければ「登録する」をクリックしてください。
登録に成功しました。
以下のURL・HTMLタグから画像にアクセスできます。
03OD0622202800
長野県立歴史館
古文書(OD)
彦狭島王御領并春日穴咋邑之考 土屋直右門書上 写
ヒコサシマオウゴリョウヘイカスガケツシャクオウノオコウ ツチヤナオエモンショジョウ ウツシ
佐久郡
1872
明治5年
比田井村(望月町)に王塚があり側に大宮大明神を祀り諏訪神を合祭する、巨木が生い茂り神趾歴然で昔から霊異あり、その塚へ上ることも木の枝葉を取ることもゆるされない。この塚は日本書紀に出てくる東山道十五国都督で豊城命の孫にあたる彦狭島王の墓と伝える、彦狭島王は、春日穴咋邑(かすがあなぐいむら)に来て病のため死んだという、その地が望月町の春日である。このことについて牧布施村(望月町)農土屋直右衛門が明治5年に記したもの。続いてこの塚に関係する宮や社について神官らの記述があり、地域に伝わる伝説事跡が述べられている。①200年前少女が幼児と春草摘みに王塚へ登り二人即死した、②元禄中代掻き馬が王城へ駆け上がり斃死した、③春秋の祭りの内春祭りを休んでいたら災厄頻発した④安政6年他所者が王塚側の竹を切ったら大雨大風になった、等王塚の霊威を示す話が挙げられている。
画像
CC0(PUBLIC DOMAIN)
長野県立歴史館