木曽殿伝記付木曽参考 写
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コンテンツ情報

詳細

資料コード:

03OD0623100800

施設番号:

長野県立歴史館

資料種別:

古文書(OD)

タイトル:

木曽殿伝記付木曽参考 写

タイトル(ヨミ):

キソトノデンキツキキソサンコウ ウツシ

分野:

場所(市町村名):

筑摩郡

資料解説:

久寿2年(1155)鎌倉で悪源太義平に討たれた源義賢の若君は2歳で武蔵国の斉藤実盛を頼ったが、結局木曽権守藤原兼任(遠)の所で養育された。治承4(1180)年高倉宮の令旨を受け木曾源義仲と名乗って北陸道を進み平家を追落して入京、功により左馬頭伊予守になり、朝日将軍と称された。しかし果報少なく在野して寿永3(1184)年正月に31歳で自害した。その後義仲の三男義基から基家と続き、三代おいて家村のとき、足利尊氏に属し上京、たびたび軍功をたて中でも楠正成との戦いで功名をあげ、尊氏から恩賞をもらい、家村の子は諸家を分流、家村の弟家道が木曽家をついで、その後、義康・義昌の時代となり、信長・家康からの宛行状などがある。木曾参考は、義仲の子義基が身をひそめていたこと、吉田兼好が木曾で庵を結んだこと、義元の討死の事、義康が甲州源氏に降った事などが綴られている。

コンテンツ種別:

Video

二次利用条件:

CC0(PUBLIC DOMAIN)

コピーライト表記:

長野県立歴史館

権利関係

長野県立歴史館

CC0
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